る好きです。その家、私是非見る好きです。私西洋くさくないです』と云って大満足です。『あなた西洋くさくないでしょう。しかし、あなたの鼻』などと常談申しますと『あ、どうしょう、私のこの鼻、しかしよく思うて下さい。私この小泉八雲、日本人よりも本当の日本を愛するです』などと申しました。
子供に白足袋をはかせるように申しました。紺足袋よりも白足袋が大層好きでございました。日本人のあの白足袋が着物の下から、チラチラとするのが面白いと申しました。
子供には靴よりも下駄をと申しました。自分の指を私に見せて、こんな足に子供のを致したくないと申しました。
ハイカラな風は大嫌いでした。日本服でも洋服でも、折目の正しいのは嫌いでした。物を極構わない風でした。燕尾服は申すまでもなく、フロックコートなど大嫌いでした。ワイシャツや、シルクハット、燕尾服[#「燕尾服」は底本では「蕪尾服」と誤植]、フロックコートは『なんぼ野蛮の物』と申しました。
神戸から東京へ参ります時に、始めてフロックコートを作りました。それも私が大層頼みましてやっとこしらえて貰ったのでございます。『大学の先生になったのですからフロックコートを一着持って居らねばなりません』と申しますと『ノウ、外山さんに私申しました。礼服を私大層嫌います。礼服で出るようなところへ私出ませんが、宣しいですかと云いました。それで宣しいですと外山さんが約束しましたのですから、フロックコートいけません』と云うのです。しかし漸く一着フロックコートを作りましたが、それを着けましたのは、僅かに四五度位でした。これを着る時は又大騒ぎです。いやだいやだと云うのです。『この物、私好きない物です、ただあなたのためです。いつでも外にの時、あなた云う、新しい洋服、フロックコート、皆私嫌いの物です。常談でないです。本当です』など云っていやがりますけれど、私は参らねば悪いであろうと心配しまして、気の毒だと存じながら四五度ばかり勧めて着せました。自分がフロックコートを着るのはあなたの過ちだと申していました。
ある時、常談に『あなた日本の事を大変よく書きましたから、天子様、あなた賞めるため御呼びです、天子様に参る時、あのシルクハット、フロックコートですよ』と申しますと『それでは真平御免』と申しました。この真平御免と云う言葉は前の西洋嫌いの華族の隠居様の話で覚えたのです。
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