一切離れて潔癖者のようでございました。
私は部屋から庭から、綺麗に、毎日二度位も掃除せねば気のすまぬ性ですが、ヘルンはあのバタバタとはたく音が大嫌いで、『その掃除はあなたの病気です』といつも申しました。学校へ参ります日には、その留守中に綺麗に片付けて、掃除して置くのですが、在宅の日には朝起きまして、顔を洗い食事を致します間にちゃんとして置きました。この外掃除をさせて下さいと頼みます時には、ただ五分とか六分とか云う約束で、承知してくれるのです。その間、庭など散歩したり廊下をあちこち歩いたりしていました。
交際を致しませぬのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとか云う事を余り大切に致し過ぎる程に好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。ただこんな想像の世界に住んで書くのが何よりの楽しみでした。そのために交際もしないで、一分の時間も惜んだのでした。『あなた、自分の部屋の中で、ただ読むと書くばかりです。少し外に自分の好きな遊びして下さい』『私の好きの遊び、あなたよく知る。ただ思う、と書くとです。書く仕事あれば、私疲れない、と喜ぶです。書く時、皆心配忘れるですから、私に話し下され』
『私、皆話しました。もう話持ちません』『ですから外に参り、よき物見る、と聞く、と帰るの時、少し私に話し下され。ただ家に本読むばかり、いけません』
その書く物は、非常な熱心で進みまして、少しでも、その苦心を乱すような事がありますと、当人は大層な苦痛を感じますので、常々戸の明けたてから、廊下の跫音や、子供の騒ぎなど、一切ヘルンの耳に入れぬようにと心配致しました。その部屋に参りますにも、煙草をのんで、キセルをコンコンと音をさせて居る時とか、歌を歌って室内を散歩して居る時を選ぶようにしていました。そうでない時は、呼んでも分らぬ事もあるかと思えば、極小さい音でもひどく感ずる事もありました。何事につけこの調子でございました[#「ございました」は底本では「ごさいました」と誤植]。
西大久保に移りましてから、家も広くなりまして、書斎が玄関や子供の部屋から離れましたから、いつでもコットリと音もしない静かな世界にして置きました。それでも箪笥を開ける音で、私の考こわしました、などと申しますから、引出し一つ開けるにも、そうっと静かに音のし
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