明治維新時代や源平時代や戰國時代が革命的時代であつた。元祿時代や明治時代が平和時代であつた。而してその都度文學もそれに對應して進化した。源平時代の軍記物には貴族に對する武士階級の革命的思想が現われ、維新前後の志士の言論には行き詰つた封建制度に對する新興階級の革命的思想が現われている。
 明治文學、革命的ブルジョア文學のチャンピオンであつた坪内逍遙の「小説神髓」には文學が勸善懲惡から獨立すべきことが強調してある。この場合勸善懲惡は絶對的意味をもつているものでない。善は封建制度の善であり、惡は封建制度の惡である。そこで封建制度が亡びてしまえばこの種の勸善懲惡はもう意味をなさぬ。「小説神髓」は文學に於ける封建社會の殘滓《ざんし》に死刑の宣告を與え、ブルジョア自由主義をこれに代えたものであつた。

       四

 マルクスは「經濟學批評」の序文で簡潔にこの關係を言い表している。「人類の生活を決定するものは意識ではない、その反對に人類の社會的生活が彼等の意識を決定するのだ」と。彼に從えば人類の意識或は思想、所謂上部構造(文化)が人類の物質生活を決定するのではなくて、人類生活の物質的條件がそれ等を決定する、故に歴史の基礎は物質的であるというのである。
 更にマルクスは「哲學の貧困」にこれを詳説している。曰く「社會關係は密接に生産力と關係している。人類は新しき生産力を獲得することによりてその生産樣式を變化し、その生産樣式、生活資料を獲得する方法を變化することによりて、その一切の社會關係を變化する。風車と共に封建社會が存在し、蒸氣機關と共に資本家社會が生れる。
 物質的生産に一致せる社會關係を樹立した同じ人々は又その社會關係に一致せる、原理、觀念、範疇を生じさせる。
 かくの如く此等の觀念、これ等の範疇は、それによりて表現されている社會關係以上に永遠ではない。これ等は歴史的、一時的の産物なのだ。」

       五

 如何に藝術の永遠を信ずるものも、徳川時代の文學と明治時代の文學とに變化がなかつたと主張する勇氣はないであろう。此の變化は何によつて生じたか? 唯物史觀はそれは物質的變化によつて生じたのであると解釋する、社會の生産關係の變化に基くものだと解釋する、抑《そもそ》も唯物史觀はこの變化或は歴史のみに對する説明であつて、發生や起原を説明しようとはしないのである。況《い
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