もなくうなだれている。牢獄か癲狂院《てんきょういん》か、どの道我が子は助からないのだ。彼の頭には陰惨な人生の両極がまざまざと描かれた。暗い考えが夜のように彼の心をとざして来る。彼はおそるおそる口を開いて、まるで腫物《はれもの》にでもさわるように、最後の質問をした。
「ではもう一つだけおたずねしますが、せがれはどのくらいな罪になるでしょう?」
 判事は鼠《ねずみ》を生け捕った猫が、それを味わうまえに十分|弄《もてあそ》ぶときのように、ゆっくりと、落ちつきはらって、まるで他人事《ひとごと》のように語った。
「そうですなあ、過失罪になればたいしたこともありますまいが、謀殺となると――まあその方が可能性が大きいと見なければなりませんからねエ――謀殺となると、まず、九分通り死刑ですかね。」
「判事!」と原田教授は突然、ばねのように立ち上って叫んだ。

       三

 判事は多少の注意力をおもてに現わして膝《ひざ》をすすめた。
 老教授の一時の昂《こう》奮は、しかし「判事!」と叫んだ一語のために、すっかり消えてしまったものと見えて、またもや、菜葉《なっぱ》のようにしおれてしまった。
「判事、もう何もかも白状してしまいます。わたしはまあなんという人間でしょう。この年をして、人に物を教える身でありながら、人もあろうに自分の最愛の子供に罪をきせて、今まで白ばっくれているなんて。わたしです。わたしがあの女を殺したのです。あの女を過《あやま》って殺したのはわたしです。すぐにせがれを放免して、代りにわたしを縛って下さい。判事!」
 どんなに法律ばかりつめこまれた頭だって、このような劇的な告白をきいて平気でおられるはずはないと思われるが、篠崎予審判事は少しも驚いた様子も、感動した様子もない。まるで、ちゃんと予期していたような顔つきである。
「では玄関で殺した死体がどうして台所にうつぶしになって、しかも背中に小刀がさしてあったのですかね。林の陳述には間違いはありますまいが?」
 原田教授は、もうすっかり落ちついて語り出した。口元にはずるそうな微笑さえ浮んでいる。
「その男の陳述は正確です。わたしが、犯跡をくらますために、死体を台所へひきずっていったのです。そうしておけば、誰か家を見にくる人があるにきまっているから、その人に嫌疑がかかると浅墓な考えをおこしましてね。屍体はかたくなっていたので、玄関から座敷へ上げるのに余程骨が折れました。それに石のように冷たくなっていたので、気味のわるいことったらありませんでした。お察しのとおり、死体をひきずってゆく時、畳の上へ血のあとがついたものですから、家へひきかえして雑巾をとって来て、すっかり血をふきとったつもりだったのですが、臨検の警官に発見されたのは天罰です。血のあとをふきとっても、まだ安心ができませんので、それから、わたしは、近所の金物屋から小刀《ナイフ》を一挺買って来て、それを死体の背中へ突きさして他殺と見せかけようと思ったのです。その時ばかりは、さすがのわたしも、手がふるえて、あとから考えると、よく、うまい工合に小刀が突きさせたものだと不思議に思っているくらいです。玄関で殺した死体が、台所へいっているわけはそのためです。せがれは、わたしが玄関で、過失であの女を殺すところまで見ていて、わたしの身代りになってくれたものに相違ありません。ですからその後のことは何も知らないのです。私の申し上げたことをお疑いになるのなら、わたしの家の裏庭の無花果《いちじゅく》の根元を掘ってごらんなさい。血をふいた雑巾が埋めてあるはずです。それから、金物屋を呼んで来て下さい。浅羽屋という家です。きっとあの小刀をあの晩わたしに売ったことをまだおぼえているでしょう。もうこの他に申し上げることはありません。どうぞすぐにせがれを放免してわたしを縛って下さい!」
「もう金物屋を呼ぶ必要はありません。その金物屋は、たしかにあなたにあの晩あの小刀を売ったと言っておるのです。今にここへ来るはずです。さっき玄関でベルが鳴ったでしょう。あの時刑事が金物屋の報告を伝えて来たのです。その時、ことによると、あなたが自白されない場合にはやむを得んから顔をつきあわせるつもりで、呼びにやったのです。」
 何もかも観念した人間には、苦しみもなければ悩みもない。原田教授は落ちついて言った。
「こうわかった以上は、さっそくせがれは放免して下さるでしょうな?」
「御子息はもうすでに予審免訴ということに決まっておるのです。林が免訴になったと言ったのは、実はうそ[#「うそ」に傍点]で、免訴になったのは御子息のことなのです。」
 教授の顔には心からの安心の色が浮んだ。判事は更におだやかに言葉をつづけた。
「ついでにすっかり白状して下さらんですか? 何もかも。」
 教授はぎくり
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