求Aコルネーユ、ラシイヌ、ラ・ルシユフコー、セヴイニエ夫人、ポワロオ、ラ・ブリユイエール、ブウルダルウ等皆当時の名文家である。ひとりこれ等の大家のみならず、当時の人々はみな文章をよくした。当時は、到るところに名文の模範があつた。対話も日常の書簡もすべて名文であつた。当時の宮女は、近代のアカデミイ会員よりも文章をよくしたとクーリエは言つてゐる。而してこの高貴端正の名文は当時の古典悲劇に於て最も燦爛たる光彩を放つたのであつた。
当時の悲劇は、貴族宮臣を喜ばせるためにつくられたものである。それ故に、作者は、あまりに残酷な真相は緩和し、舞台に殺人の場面を上せるやうなことはせず、その他叫喚、暴行、蛮行等の如き、サロンの優雅な空気に親しんでゐる人々に不快を与へるやうなことは一切避けた。それと同時に彼等は無秩序を嫌つた。シエーキスピアのやうに、むやみに空想や幻想に耽ることを避けた。劇の組立ては整然としてゐて、思ひがけない偶発事件などを挿入することを許さなかつた。そして対話には洗練された上品な語句が用ゐられた。人物はギリシアの英雄であつたが、服装その他はすつかり当時のフランスの宮廷を中心とする人士の好みに投じたものであつた。又人物の性格の如きも、すつかり当時のフランスの貴族趣味に投じたものであつた。たとへばラシイヌの描いたイフジエニイとウリピイドの描いたイフゲニイ、ラシイヌの描いたアシイルとホーマーの描いたアキレスを比較して見れば、這般の事情ははつきりとわかるであらう。テエヌの言葉をかりると当時のフランス劇は、「ゴチツク建築と同様に、人間精神の、くつきり整つた形態をあらはしてゐたので、そのために、それはゴチツク建築と同様に全ヨーロツパにひろまつたのである。」
テエヌは、封建制度から君主政治へ移つていつた経済上の条件を分析してゐないが、この政治形態の推移が、経済関係の変化によつて決定されたものであることは、今更らこゝで附け足して説明するまでもなく明かであるから、それはこゝでは省略する。
三
ロマンチスムの文学は如何にして起つたか? それは、古典文学が、宮廷生活を中心とする貴族のイデオロギイの表白であつたに反し、新興ブルジヨア階級のイデオロギイの表白であつたことは、多くの文学史家がひとしく認めてゐるところである。
ロマンチスム文学は、先づ第一に文学上に於け
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