文学方法論
平林初之輔

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)或る作品を容《ゆる》したり、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)経験的事実[#「経験的事実」に傍点]とは何か?

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)めい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)冷静(〔impassibilite'〕)との間には
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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         はしがき

 学としての文学、即ち、文学の理論が可能であるとすれば、従来多くの学者によりてなされたやうに、文学とか、芸術とか、乃至は美とかいふものゝ形式的定義から出発する代りに、先づ第一に、さういふ試みを抛擲して、純粋に経験的なもの、具体的なものから出発しなほさねばならぬ。
 このことは、従来の文学理論がもつてゐた一種の美しさ、深遠味、神秘的な色彩を奪つて、これに甚だしく粗笨な相貌を与へるかも知れないが、それにもかゝはらず、このことは、学としての文学を建設するために、是非通過しなければならぬ一過程であり、一段階であり、どれほどそれが粗笨な理論であつても、それは明かに進歩であるとさへいはねばならぬ。占星術や錬金術から独立したときの天文学や化学が如何ほど幼稚で粗笨であらうとも、依然として、それらは、最も精巧な占星術や錬金術よりも、理論的には遙かに進歩したものであると同じである。
 一切の理論は経験から出発しなければならぬ。単に経験から出発するだけでなく、経験に帰つて来なければならぬ。凡ゆる科学のうちで、最も抽象的な科学は天体力学として発達した。そして天体力学は、抽象的な理論からではなくて、星の運動の観測からはじまつたのである。そして、どんな小さな経験的事実、たとへば水星の近日点の移動の如き事実でも万有引力の理論全体の変革を迫るに十分だつたのである。何故かなら理論は経験にはじまると同時に、経験の検証に堪へるものでなければならぬからである。
 然らば、文学に於ける経験的事実[#「経験的事実」に傍点]とは何か? 言ふまでもなく、それは、個々の文学作品である。この文学
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