る。氏の見解は一種の表現主義であつて、氏にとつては、表現そのものが文学の本質であり、それが「文芸自身に固有な、ひとり、文芸にだけ求められて文学以外のものには求められない一の意義」なのである。私は文学の社会性、従つて歴史性、従つてまた階級性をさへ認めるに反し、氏は「文芸は表現せられた美でなければならぬ」といふ超歴史的、超社会的当為を認められる。しかし、これは「文芸」といふ言葉を「美」といふ言葉におきかへて論点を文芸から美へ押しやられたゞけであつて、決して文芸の説明とはなつてゐない。そこで氏は遂に理論を回避して、「文芸は確かに道徳でも宗教でも無い。文芸以外のものではないところの味をもつけれども、その味は此れを味つたもの以外には何とも語ることができぬのである」という神秘説を告白するの已むを得ざるに至つてをられる。かやうな理論的行き詰りは、ひとへに、氏が文芸のアプリオリに執着せられるところに胚胎する。勿論私とても、「文芸はたしかに道徳でも宗教でもない」ことには異存はない。又それを単なる心理現象とも社会現象ともことなつたものであると認めることにも異存はない。問題は、土田氏がこれ等のものゝ外に文学
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