るものは、多くの経験的要素の複合であるといふ見地から出発すべきである。かゝる見地に立つときは、文学を構成する様々な要素は、偶然に、文学の本質に附属してゐる随伴物ではなくて、却つてそれ等の要素の緊密な結合によりて、本質が構成されてゐるといふことになるのである。
近時文学のもつ社会的性質が、一部の人々によりて強調された。このことは、我国の文学批評界に、かつてない活気を帯びさせ、限りなき論争を惹き起させつゝある。これに対して、自然主義前派の形而上学的理論家は、まるで文学に社会的性質があるといふことがわかると、文学の難破でゞもあるかのやうに力んで、文学には社会的性質なしと放言するに至つた。
ついで、この理論のもつ矛盾、明々白々な破綻に気附くと、こん度は、彼等はなる程文学には社会的性質はある。しかし、それは表面的な、一時的なものであつて、文学の本質には毫も関係のないものであり、文学の本質は、その社会的性質を超越して一貫して不変であるといふ修正論を唱へはじめた。ところが、文学の理論を俗学主義の中へ、形而上学の霞の中へ、無理論の泥海の中へ曳きずりこまうとするのは、まさに此の修正論である。
何故
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