電気的性質、膠質状態の研究等、いろ/\な方面から、この神秘に肉薄し、既に生命物質を合成せんとする真面目な企図にまで発展してゐるのである。そして、種々の有機物質の合成が成功したこと、生命物質を人工的要約のもとに発育せしめることが成功したこと等は、研究者たちを勇気づけ、その研究の前途に少からぬ光明を投げつゝあるのである。私たちは、未だ生命の神秘を分析しつくしてはゐない。けれども他日――早かれおそかれ――それが分析されるだらうことを十分に期待し得るのである。
 かくの如き自然科学の方面に於ける、研究者の孜々たる努力と、赫々たる成果とから眼を転じて文学理論の混沌たる現状を見ると、そこには、得体の知れない神秘主義が大手をふつて歩いてゐる。そして、殆んど誰もが、それをとがめようとしない。たゞ私たちは、過去に於て、自然主義の文学理論の中に、はじめて、文学の神秘を解剖せんとする努力を見た。しかし、性急な理論家たちは――文学者は科学者のやうな忍耐力を欠いてゐる――問題が一挙に解決されなかつたために、問題は解決すべからざるものであると断念した。ゾラやテエヌの説が不完全であつたものだから、彼等の事業そのものがすつかり徒労であつたと早合点してしまつた。そして、彼等の事業をひきついで、これを修正し、大成してゆかうとつとめるかはりに、再び神秘の中へ廻れ右をした。元来或る理論の体系を一個人の一生で完成することは、不可能と言つてもよい程困難なことである。ことに神秘の雲の深くとざさしてゐる処女地を開拓する場合に於ては、この困難は一層甚だしい。ほんの、大まかな理論の輪廓を印しづけることだけでも、人間の一代を要することは大いにあり得ることである。自然主義文学の理論家の業績を、私たちは、少しでも軽視してはならない。彼等は少なくも、混沌たる文学理論を体系化しようとし、かつ、或る程度までそれを成しとげたのだから。
 私たちは、真実の基礎の上にたてる研究は、その前途がどれ程荊棘に満ちてゐようとも、これを追及してゆかねばならぬ。思ひ思ひの独断の城廓にたてこもることは容易でもあり、かつ、文学理論の今日のやうな状態に於ては、それが功名心を満足させることにもなるかも知れない。だがしかし、それは、或る学問の系統的進歩に何等稗益するものではない。却つて、さういふ試みは、或る学問を混沌と無理論に導くものである。
 私が以上に述べたやうな見地にたつたとき、はじめて、形而上学的文学理論は屏息するであらう。そして、文学理論は真実の科学的基礎に立つことができるであらう。

         二 文学理論に於ける諸流派

 私は、前節に於て、自然主義の文学理論に、真の科学的基礎にたつ文学論の萌芽が見られるといふ意味のことを述べた。これに対して、私は、次のやうな抗議を多くの人から受けるだらうことを期待してゐる。
『君は自然主義の理論に共鳴してゐるからさういふのであるが、自分は、君が自然主義に共鳴してゐるのと同じ権利によつてロマンチシズム――或はフユチユリズム其の他如何なる流派でもよい――の理論に共鳴してゐる。だから自分はロマンチシズムの理論こそ真の文学理論だと思ふ。如何なる理論を真実とするかは、結局、如何なる理論を信ずるかによつて決するのだ。どんな理論もそれ/″\同様の存在権を有する。その何れを信ずるかは個人々々の趣味性格によつて決するのだ』
 以上のやうな主張に共鳴する人々は、文学の世界には極めて多数にのぼるであらうと私は信ずる。この主張は文学の理論は結局独断論であると信じてゐる人々には、非常に尤もらしく映ずるであらう。しかし、この主張こそ、まさに私たちが排撃しなければならぬものである。それは明々白々な理論の否認である。混沌の讃美である。
 それは、二つ以上の真理が両立するといふ論理的矛盾を呈示する。かういへば、反対者は、有名なポアンカレのパラドツクスを思ひ浮べるかも知れない。彼は、地球が太陽の周囲をまはつてゐるとするのも太陽が地球の周囲をまはつてゐるとするのも、いづれが真理であるとは言へない。いずれの説明が便利であるかと言ひ得るのみであると主張してゐるのである。これは一見驚くべき説のやうに思はれる。しかしながらこれは結局同じ真理を如何に言ひあらはすかといふ表現の問題に帰することを私たちは容易に発見する。私が東京から大阪へ行つたといふのも、大阪が私の脚下まで動いて来たといふのも、地球外の観測者にとつては物理的には同じことである。ただ私を規準にするよりも、地球を規準にする方が便利なだけである。ポアンカレが太陽と地球との運動について言つてゐることもそれと同様である。私たちは、地球、或はその他如何なる惑星――木星でも海王星でも――を規準としてゞも太陽系の運動を算定することはできる。そしてかくして得られ
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング