の解答として私たちは、少くも次の三つを期待することができる。
 A、文学とは、私たちが、その思想感情を表現するにあたつてとる一つの形式であつて、発表或は表現そのものが既に文学の目的であり、それ以外に目的はない。
 B、文学の目的は、読者をよろこばすことにある。作者の発表欲、表現欲を満足させることではなくて、読者に、高雅な情操を起させることである。
 C、文学の目的は、啓蒙的なものである。文学作品は読者を教へるものをもつてゐなければならぬ。それによつて人生を、社会をよりよくするものでなければならぬ。
 以上の三つの目的に随つて、文学の理論はそれ/″\異つた体系をもち得る。しかるに、前節に於て、私が述べた理由によりて、これ等の異つた体系の並立は許されない。こゝに於て、問題は、一転して解きがたい紛糾の中に入るやうに見える、だが、それはほんとうにさうなのであらうか?
 私は以上のうちのどれか一つを、これこそ真の文学の目的であるとする説にはくみしがたい。理論といふものは成るべく単純な程よい。しかし、真理はあまり単純でない場合がある。単純でない真理を、単純な理論で把握しようとする時、真理は理論から逸脱して、理論は空論となる。
 私は、文学の目的及び機能は、社会が進化し、従つて文学そのものが進化するにつれてかはつてゆくと思ふ。唯一絶対の目的を文学に課するわけにはゆかぬと思ふ。しかも、それは私が思うだけでなく事実である。このことは文学に限らない。建築を例にとらう。人間が最初家屋をこしらへた目的は、雨露をしのぐといふことであつたに相違ない。しかし、建築術の不断の進歩は、単にそれだけの目的では満足できなくした。今日の建築は、審美的な見地からも設計されつゝある。衣服にしてもさうであつて、当初は寒さを[#「寒さを」は底本では「寒さをを」]しのぐためのものであつたに相違ないのが、後には、装飾としての目的をより多くもつやうになつて来てゐる。(尤も熱帯人の衣服ははじめから装飾を目的としてゐたといふ説もあるが。)
 かくて、文学も、その発生の当初に於ては、単に感情の表現の一形式であつたに相違ない。表現といふことそのことが既に文学の目的であつたに相違ない。今日の文学にも、その痕跡はゝつきり残つてゐる。中世時代の抒情詩人の文学、近世の唯美派の文学等には、わけてもその特色が目立つのみならず、いつの時代に
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