口へ、十枚ばかりの頼信紙を出しているところであった。その男は、何か不幸な事件でもあったと見えて、あとからあとからと頼信紙へ同文の電文をつけている様子だった。
田中は、まだかまだかと督促《とくそく》してもどかしがった。
「親戚に急な不幸がありましてな」件《くだん》の労働者は気の毒そうに田中にわびた。
里村がそこへ息せききってかけつけた。
二人はものの四十分もまちぼうけをくった。里村はもうあきらめているらしかったが、田中はしきりに時計を出して見て、「ちえっ」夕刊の締切に間にあわん。としきりに舌打ちした。
やっとのことで労働者は二人に恐縮そうにお叩頭《じぎ》して出ていった。
田中は入れかわって電報取扱口にたった。
里村は田中の原稿を見て、「たっぷり二十分はかかるね」ともうあきらめながら言った。「一寸その間に用たしをして来るよ、どうせ僕の方は夕刊にまにあいっこはないのだから」と云いながら彼は出ていった。
道の二町もいった頃彼はさっきの労働者にあった。
「どうも有《あ》り難《がと》う、お蔭で僕の方は夕刊にまにあった、これは少しだが」
彼は十円札をつつんでわたした。
「どうも相すみません」まださっきのつりものこっておりますが、あなたの電報の分が至急報で五円三十銭と、それにわっちゃあ、親類じゅうへ合計十三本も用もない電報をうちましたぜ」
「そりゃどうも有り難う、おかげであの男の方は夕刊に間にあいっこなしだ、なにつりはとっときたまえ」
× × × ×
「要するにあの場合、船から一番先きに降りるものは誰かってことに気がついたのは吾ながら感心だて、船員のうちには必ず船客より先へ降りる者があるってことに気がつくなんざ頭のいいもんだなあ。お蔭で来月あたりは昇給かな。田中の奴、おれが息せききってかけつけたと思っているが、豈《あに》計らんや、俺は、煙草をふかしながら見物のつもりでやって来たのだ。あんまり気の毒だから局の前でちょっと駈足のまねをして見たがね。気の毒といえば、このことをすぐに奴に知らせるのもあんまり気の毒すぎるから、一つあいつの女房のとこへでも電報を打って俺の頭のよさを自慢してやろうかな」
里村は途々《みちみち》ひとり考えて悦に入った。
[#地付き](一九二六年二月号)
底本:「「探偵趣味」傑作選 幻の探偵雑誌2」光文社文庫
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