、チエホフの作品の芸術的価値が、一夜のうちに消えてなくなつてしまふであらうか?
 否! と私は答へる。また誰だつてさう答へざるを得ないと私は考へる。チエホフの作品でなしに、たとへば、ボオドレエル若しくはエドガア・アラン・ポオの作品を例にとらう。これ等の人々の作品は、プロレタリアの勝利に貢献するやうな何物をもゝつてゐないことは誰しも異存のないところである。それどころか、これ等の人々は作品には、一般に人類の幸福をおしすゝめる拍車となるやうなものすら何一つ見当らぬ。それにも拘らず、これ等の作家は、芸術的に何等価値のない作家であるといはれるだらうか? これ等の作家によつて描かれた頽廃性、不健康性はプロレタリアの闘争のためには無論のこと、一般に人類の向上進歩のためにすら反効果をもつものであるのに、私たちが、それ等の作品に、多かれ少なかれ芸術的価値を認めるのは何故であらうか?
 こゝに一元論をもつては解釈しがたい謎がある。
 性急な読者は、私がこゝで、芸術作品の政治的価値を否定、若しくは減弱しようとする意図を抱いてゐるために、かういふ議論をするのだと考へるかも知れない。ところが、私の意図はその反対
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