たといふ理由だけではすぐれたマルクス主義作家にはなれぬであらう。だが後者はいかに拙劣な作家であるにしてもマルクス主義作家であるといふ点にはかはりはない。といふのは彼は、マルクス主義政党の規定する紀律に服して、一定の目的を意識して作品行動を営んでゐるからである。
そこで私たちは、マルクス主義作家をしてマルクス主義作家たらしむるものは、政治的なものであるが、彼をすぐれた作家たらしめたり、拙劣な作家たらしめたりするものは、芸術的なタレントであるといふ重要な結論に到達する。
ところが、「芸術的価値」は社会的価値であるといふ、わかりきつた説を繰り返すことに忙しい「一元論者」たちは、この明々白々たる事実を無視し、現実にある芸術的価値を頭の中でのみ抹消して、私の「二元論」を撃破し得たと称するのである。そしてまるで「芸術的価値」が社会的価値であることさへ証明すれば私の理論が成立しないかのやうにしふるのである。
三 芸術的価値は独自性をもたぬか?
私は「政治的価値と芸術的価値」の中で、「これ(芸術的価値)を、私は神秘的な先験的なものだとは解してゐない。それは社会的[#「社会的
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