の男は現に松本へ行ったじゃありませんか?」
「どうしてそれがわかりますかね?」
「どうしてって、今朝甲府から電報をうっているし、現に今飯田町駅へ着いた筈じゃありませんか?」
「なる程、甲府から電報をうったことはたしかです」と上野探偵は平然として答えた。「先刻《さっき》飯田町へ着いたことも現在私が見てきたのですから、これ程たしかなことはありません。だが、それだけでは、あの男が松本へ行ったという証拠にも、名古屋から中央線に乗ったという証拠にもならんじゃありませんか。あの男は、兇行をすましたあとで被害者の家を抜け出し、それから牛込駅へトランクをとりにひき返したのですよ。尤《もっと》もその間にどっかへ寄ったのかも知れませんがそれはどうでもよい問題です。まあ御覧なさい」と彼はポケットから旅行案内をとりだしてその中の或る頁《ページ》を指さしながらつづけた。「飯田町を十時に発車する長野行の汽車があります。あの男は牛込駅でトランクを受取って飯田町まで後戻りしてこの汽車に乗ったのです。この汽車は今朝の二時五十八分に甲府へ着くのです。あの男は甲府で下車してしばらくしてから光子のところへ電報をうったのです。甲府からうった電報の発信時刻は今朝の四時二十分になっておるでしょう。あんな時刻に甲府の駅から電報をうつなんてそれ以外に説明がつかんじゃありませんか。それから駅でしばらく待っていて、五時二十分発の飯田町|行《ゆき》の汽車であの男は東京へひきかえして来たのです。その汽車がちょうどさっきあの男が乗って帰った汽車なのです。あの汽車は甲府から出る汽車で松本とは連絡しとりませんよ。要するに、こんなことをしてあの男は現場に不在であったことを二重に証明しようとしたのですが、甲府発の四二四号列車に乗ったのは不注意でしたよ。旅行案内を見ればすぐに化《ばけ》の皮があらわれますからね」
「ふむ」と佐々木警部は茫然として言った。
「その証拠には」上野探偵は言葉をつづけた。「あの男は、わざわざ夜中《やちゅう》に電報を打ってまで被害者にむかえに来てくれと言ってよこしておきながら、駅へ着いた時、あたりをふりむきもせず、待合室を探しもしないでまっすぐに俥《くるま》をよんで乗りましたよ。誰も迎えに来ておらぬことをちゃんと知っていたのです。名古屋から打った電報も甲府から打った電報も二通とも貴方がたを瞞着《まんちゃく》するた
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