課長はそれを決定的な有罪の証明であると判断して、別段返事の督促もしないで次の訊問に移った。
「この手袋は君のだろう?」
 彼はデスクの上にのせてある一つの駱駝《らくだ》の手袋をさし示して言った。
「そうです」
 と先刻から不思議そうにそれを見ていた今村は承認した。
「この手袋の片一方はどうしたかおぼえているか?」
「途中で落したと見えてありませんでした」
「どこで落したかおぼえがあるか?」
「ありません」
「君は小使を撲殺した時に、不注意にも現場に落してきたのだ。被害者のそばに落ちていたということだぞ。臨検の警官からの電話で、君の手袋の片一方が発見されたことが明瞭になっているのだ」
 今村は、頭から尻へ、串でつきとおされたような気がした。彼を犯人だと信じきった課長は、勝ち誇った勝軍の将が、敵の降将に降伏条件を指定する時のような、確信に満ちた態度で言った。
「どうじゃ、おぼえがないとは言えないだろう?」
「おぼえはありません」
 と今村は低声《こごえ》で呻《うな》るように云った。そして、こんな返事は却って、おぼえのある証拠であるように思えて、自分で自分のへまさ加減がいやになった。
「おぼえがありません」というような答えは真犯人の常套語であるということを、従来の経験にてらして知りぬいている課長は、今村の返事などは歯牙にもかけずに訊問をすすめた。
「おぼえのない人間が、どうしてつかまった時に『家内はこのことを知っておりますか』なんて云う必要があるのか? 自動車に乗せられるときは『もう駄目だ』なんて独り言をいう必要があるのか? いずれ重大な事件だから、すぐに係りの検事から審問がある筈だが、なまじっか偽《いつわり》を申し立てぬがいいぞ。隠してはためにならぬぞ」
 課長は肥った身体を満足そうにゆすぶりながら、言いたいだけのことを言ってしまうと、先刻から不動の姿勢をとっていた護衛の警官にあご[#「あご」に傍点]の先で合図した。
 今村は、咽喉に栓が詰って、一言もものがいえなかった。しょんぼりとして、警官にひきたてられてゆく彼の姿を見ると誰の眼にも、すっかり恐れ入ってひきさがってゆく罪人とかわりはなかった。
 実際今村自身にさえ、自分が罪人であるとしか思われなかったのである。絶体絶命の不可抗力に、「お前が犯人だ」と暗示され、その暗示は、人間わざではどうすることもできないような気がし
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