ズボン》との衣嚢をのこらず裏返して紙屑一つあまさず所持品という所持品を悉く没収された。飼主に追われて小舎の中へ入る豚のような恰好と心理とをもって、彼は自動車に乗せられた。
その途たんに、彼は一瞬間自意識にかえった。名状しがたい絶望感が、風のように彼の全身を通り過ぎた。彼の唇は彼の意志とは独立に歪《ゆが》み、頬のあたりの筋肉は剛直した。
「もう駄目だ!」
卑怯な家畜のような声が思わず彼の歯間を洩《も》れて出た。三人の刑事は一斉にじろりと彼の方を見た。
五、恐怖
四人の人間の塊りをのせた自動車は、石ころでも乗せたように無感覚な相貌をして、雪の中を疾走していった。一行が警視庁へ着いた時は、もう時計は二時をよほど廻っていた。
彼はもう一度厳重な身体検査を受け、外套と帽子と上衣とは参考品として没収され、一言も言わずに、まるでメリケン粉の袋か何かのように荒々しく留置所へ入れられた。
今村は何よりも空腹と寒さとを感じた。そして、こんな場合に、こんなところで空腹を感じる自分の動物的本能に嫌悪を感じた。しばらくすると係りの警官が毛布を二三枚もって来た。外には二名の警官が立ち番をしているらしかった。彼は本能的に毛布を足でもちあげ、歯でくわえて短衣の上にまきつけた。その毛布は、これまで幾度び、ありとあらゆる忌わしい犯人の身体にまきつき、その体臭と汗とに浸みこまれていることであろう。彼は何とも言いようのない屈辱を感じたが、それでも毛布をすてはしなかった。それどころか、その毛布が自分にふさわしい着物のようにさえ思われた。
彼にはどう考えても今夜の出来事は合点がゆかなかった。ことによると、あの最初の一撃を受けた瞬間に、頭の調子が狂ってしまって、今は夢を見ているのじゃなかろうか? それよりも、最初の打撃そのものが既に夢の中の出来事で、自分は現在、家で蒲団にくるまって、女房と枕を並べて安らかに眠っているのかも知れない。
廊下を往来する守衛の靴の音が、此の上なく非音楽的なリズムをつくって、乾燥した音波を鼓膜に送って来る。その音には、日本帝国官憲の威力がこもっているようで、鼓膜を打つたびにひやりとさせる。それを聞いていると、或いは自分が無意識の裡に何か悪いことをして、それを自分で気がつかずにいるのではあるまいかという考えが湧いて来る。そして、時とすると、それが動かしがたい、
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