妙を私たちは感得して驚歎するであらう。
 ハクスレーが、アルプス山は地殻の冷却による収縮によりて生じたものであるといふ地質学の真理は、アルプス山に対する登山者の崇高の念を少しも減殺するものでないと言つたのは至言である。
 文学に就いてもそれと同じであつて、私たちは、文学作品を享楽し、鑑賞することはできるが、そのほかに、それが発生する根拠、それが進化してゆく様態を、科学的に研究し、理解しようと努力することも決して排斥すべきことではなくて、むしろ、その方が重要な位である。ところが最近では、さういふ方面の研究に一歩でもはいらうとすると、彼れは文学がわからないのだときめられてしまうのである。
 勿論鑑賞的批評も重要であるし、それも今の日本にはかけてゐる。私は、みだりに過去を追慕する人にはくみしない。過去は、個人について言つても、どんなに苦しい、醜い過去でも、たゞ過去であるがためになつかしまれるものである。過去を考へる場合ほど、私たちに冷静な厳正な判断の必要であることはない。それにもかゝはらず、私は、最近の批評が一向進歩してゐないといふ説、むしろ退歩してゐるといふ説には一面の真理があることを否定し得ないのである。
 こゝでは、私は専ら、文学の方法論的研究に注目することにしよう。そして過去の人たちが、この方面でどれだけの業績をのこしたかを見逃さないために、この方面に於ける最も偉大なる一人である、エミイル・ゾラの説を紹介しようと思ふ。それは、近代の文学研究の方法に決定的な基礎を与へたものはナチユラリズムであるにかゝはらず、ナチユラリズムの文学理論は、日本には、まだまとまつて紹介されてゐないと思ふからである。私たちは、ナチユラリズムの本質に触れないで、たゞその外貌だけを眺めて通つて来た観があるからである。以下に述べるところのゾラの説は、今では私たちを全く説得するに足る力をもつていないであらう。(さうでないならば私たちの恥辱である!)けれども、極めてイージーにナチユラリズムを卒業して来たと考へてゐる人たちの考へる程、それは鎧袖一触の値しかないものだらうか?

         一

 エミイル・ゾラは、有名な「実験小説論」の冒頭で次のやうにことはつてゐる。
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『実験方法なるものは、クロオド・ベルナアルによりて、「実験医学研究序論」の中で、しつかりと、且つ驚くほど
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