、靜まり、輕い柔しい微笑が脣邊《しんぺん》に漂ふ。霧をくゞつて來る水の忍び寄る柔《やさ》しい響、私はそれを耳にして暫く默つて水面を見つめて立つてゐた。
 岸に近い宿屋から船を一艘仕立てゝ貰つて、湖上を周ることにした。
「こんな處にこんな池があるといふことが、東京までも知れて居るんですかね。」
 そんな事を言ひながら、一人の若者が櫓を押しながら船を進めて行つた。辨天の祠《ほこら》のある島には杉だの松だのが一面に立つてゐて、石の階段が水際から奧深く次第に高く導いてゐた。その奧には辨天の祠が在つて、四抱へ以上もある杉の老木が電火に打たれて立つてゐた。島を繞つて四方に湖水が開けてゐる。周圍四里近いこの湖水は、幾ら高い所に立つても一望に見果てがつかない。山脚の間々を繞つて入り込んでゐるので、或處は廣く、或處は狹く、周圍にも途がついてゐない。湖を極めるには船に頼るより仕方がない。湖上には日の光が縞を織つて、殆んど微動すら見せない。水の面は明るく、暗く、照り渡つてゐる。
 島からまた船に乘つて、誘はれるやうに奧へ奧へと入つて行つた。
 何處の湖水にでもロマンスはある。この湖の成立は知らないけれど、若者の語るところでは一種の谿湖らしい。山麓の谿間に自づと水が溜つて、その谿間には巨樹の立つてゐるままで水に浸され、檜や、杉が、水中深く白骨のやうになつて、立枯れしてゐるといふことである。その巨木の立枯れしてゐる中へ、銅《あかがね》の船が一艘沈んでゐる。その船は、謙信の智將|宇佐美貞行《うさみさだゆき》が、謙信の爲めに謀つて、謙信の姉聟|長尾政景《ながをまさかげ》の謀反を未然に防ぐために、二人して湖水に船を浮べ、湖上の樅《もみ》ヶ|崎《さき》といふ所まで出た時に、水夫に命じ船底へ穴を開けさせ、政景の身を擁して、二人とも船と共に水中に沈んでしまつた。その船だといふ。それは事實であらう。その後幾度となくその船を引き上げようと企てた者もあつた。最近一二年前にもこれを企てゝ失敗に終つた者がある。船のあるのは事實だけれど、引き上げることは困難である。水が冷たいのと巨木の間に挾まれてゐるのと、泥の膠着《かうちやく》してゐるのとで上げられない。
 二人の死骸すら遂に上げられずにしまつた。纔《わづか》に彼等が着けてゐた具足の端を水中から切り取つて、近くの寺の境内に埋めて、墓を建てたとの事である。幾百年前か
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉江 喬松 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング