92−68]餅を沢山出して来て火鉢で焼いて喰べろといひながら炭をついだ。
「息子は農科大学へ行つてゐたが一昨年卒業して、直ぐ一年志願兵で入営して、今年帰つて来たが、四五日前|篠島《しのじま》へ嫁いである姉の所へ行つて、明日あたり帰つて来るだらう」と話した。そして、「またわしら処の子も東京で御厄介になる事も御座んすらい。何分よろしく御願ひします。こんな所で何も御馳走はねえけれど、まあゆつくり休んで行つて御くんなんし」と、丁寧にもてなして呉れた。
 暗くなつてから用事で出掛けてゐた主人が自転車で汗をかきながら帰つて来た。話し好きな、人の好ささうな人であつた。風呂が出来たといふので入れて貰つた。
 奥まつた室で、私達二人は寝ながら今日の冒険の話などしてゐると、勝手の方には風呂を貰ひに来た人達が何か高声で連りに話してゐた。
 遠波の響きが寂しく聞こえて来る。疲れ過ぎた為めか眠れない。悲しい波の音はドオウ、ドオウと家を包んで鳴つてゐた。



底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「霧の旅」中興館
   1914(大正3)
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