い痩《やせ》ツこけた白髮の老人が、のツそり[#「のツそり」に傍点]と立ツてゐるのであツた。螢の薄光で、微《ほのか》に見える其の姿は、何樣《どん》なに薄氣味《うすぎみ》惡く見えたろう。眼は妙に爛《きら》ついてゐて、鼻は尖《とが》ツて、そして鬚《ひげ》は銀《しろがね》のやうに光ツて、胸頭《むなさき》を飾ツてゐた。
「お前さんは誰です。」と、自分は、おツかなびツくら[#「おツかなびツくら」に傍点]で訊《たづ》ねた。
「私《わし》かえ、私はの、年を老《と》ツた人さ。」と、底意地の惡さうな返事をして、自分の頭を撫《なで》て呉れる。其の聲は確《たしか》に何處《どこ》かで聞いたことのあるやうな聲だ。
 自分は首を傾げて考へて見た。直ぐ足下《あしもと》には、小川が流れてゐたが、水面には螢の影が、入亂れて映《うつ》つてゐる。
「おゝ! 奇麗だ。」
と自分は熟《じつ》と流を見詰めると、螢の影は恰《まる》で流れるやうだ。
「何《ど》うだ、奇麗だらう。」と白髮の老人はさも自慢さうにいふ。何うも、其の聲は聞覺があるやうに思はれてならない。併し何《ど》うしても、誰の聲であつたか解《わか》らなかった。何處《どこ》かで梟《ふくろ》が啼出した。自分はぞつと[#「ぞつと」に傍点]しながら、
「此處は何んといふ處なんでせう。」
「此處かえ。」と老人は、洒嗄《しやが》れた、重くるしい聲で、「此處《ここ》はの、螢が多いから、螢谷といふ處だ。」
「えつ、螢谷ですつて?」
 螢谷と聞《き》いて、自分は顫上つた。そして逃支度《にげじたく》をしながら、
「さ、大變だ!大變だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]と泣聲になつて、騒立てる。
 螢谷といふのは、自分の村を流れてゐる川といふ川の水源《みなもと》で、誰も知らぬ者の無い魔所であつて、何が棲《す》むでゐるのか、昔から其《それ》を知ツてゐる者が無いが、たゞ魔の者がゐると謂《い》つて夜《よる》になると誰も來ない事になつてゐた。固《もと》より其の邊に家と謂つては無い、谷も行窮つてゐて、其の谷の凹に少しばかりの山畑があるばかり、夜は何處を見ても松林と杉林ばかりである。自分の村から二里もあるのだから、
「私は何《ど》うして、此樣《こんな》な處へ來たのだらう。」
と不思議でならない。それよりはまだ、此樣な處で、白髮の老人に逢つたのが、更に不思議でならない。雖然《けれども》何んと
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