れると云ふ學校にも入《はい》らず、毎日ぶら/″\して、好きな小説に讀み耽つて二三年間と云ふもの、怠け者のやうに要領を得ずに暮した。其間に些つと金澤へ行つたことがある。
 十九の年、それまで誰にも話さなかつた小説家になりたいと云ふ志願を親父に打ち明けて、其許しを乞うた。所が一體僕の家と云ふのが、古くから代々醫者で、僕の知つて居る所では、四代だけは明らかである。それで親父は一かどの醫者にする意りでゐたのだから、文學者志望を許して呉れない。何うしても醫者になれと云ふ。實は、親父自身も醫者が大の嫌ひで、政治家にならうとして、何彼と理屈をつけては家の稼業はおつ放り投げて飛び出し、三十になるまでも方々を放浪して歩き廻つたものである。
 それくらゐであるから、政治に非常なアツビツシヨンがあつて、僕の小い時分には、僕を英雄仕立にして、自分の政治上に於ける燃えるやうなアツビツシヨンを、僕に移し、僕を通して自分の其野心を滿足させやうとしたのであつた。所が、僕は小い時から非常な神經質で、元氣とか云ふものがなかつたから、親父は失望して、英雄的に育てることは斷念し、醫者にさへすれば、食ふには困らぬからと親心を起
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