人生の縮圖が出來て、其處に小社會小國家が作られ、そして我々人間が祖先から傳へられた希望も欲望も習慣も煩悶も疑惑も歸趣も、そして運命をも、殆ど殘らず知悉《ちしつ》することが出來たかもしれぬ。解剖臺に据ゑられたんだからと謂ツて、人間が變ツて生れたのでも何んでも無い。矢張《やツぱり》我々が母の胎盤を離れた時のやうに、何か希望を持ツて、そして幾分か歡喜の間に賑《にぎやか》に生れたものだ。そこで其の最後は、矢張我々の先代が爲したやうに、何の意味も無く、また何等の滿足も無く、淋しい哀な悲劇であつた。彼等のうちには、戀に燃えて薄命に終ツた美人もあツたらう、また慾に渇《かわ》いて因業《いんごふ》な世渡《よわたり》をした老婆もあツたらう、それからまた尚《ま》だ赤子に乳房を啣《ふく》ませたことの無い少婦《をとめ》や胸に瞋恚《しんい》のほむらを燃やしながら斃《たふ》れた醜婦もあツたであらう。勿論小さな躓跌《つまづき》から大なる悲劇の主人公となツて行倒《ゆきだふれ》となツた事業家もあツたらうし、冷酷な世間から家を奪はれて放浪の身となツた氣の好《い》い老夫《おやぢ》もあツたらう。また活きてゐる間|溌溂《はつらつ》たる意氣に日毎酒を被《あふ》ツて喧嘩を賣※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、226−中段6]ツた元氣な勞働者もあツたらうし、空想的の功名に※[#足扁に「宛」、第3水準1−92−36、226−中段7]《あが》いて多大の希望と抱負とを持ツて空しく路傍に悲慘なる人間の末路を見せた青年もあツたであらう。更にまた一夜に百金を散じた昔の榮華を思出して飢《うゑ》と疾《やまひ》とに顫《をのゝ》きながら斃れた放蕩息子《のらむすこ》の果《はて》もあツたらうし、奉ずる主義の爲に社會から逐《お》はれて白い眼に世上を睨むでのたうち[#「のたうち」に傍点]※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、226−中段13]りながら憤死した志士もあツたであらう。中にはまた、堅い信仰を持ツて泯然《びんぜん》として解脱《げだつ》した宗教家もあツたらうし、不靈な犬ツころの如く生活力が盡きてポツクリ斃れた乞食もあツたらう。是等種々に異ツた性質と境遇と運命とを持ツた人間が、等しく「屍體」と名が變ツて生物の個體として解剖臺の上に据ゑられる、冷たくなツて、素ツ裸にされて。繰返していふが、此の人等は決して變ツた人ヤでも何んでも
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