った。
時計屋には支那服の、あの度胸がなかった。
坊主が怖気づいていた、黒眼鏡と支那服がいなくなったので、乾干になりかかった時計屋と左官を取っ掴まえて、日毎に怒鳴り込んで来た。
「出て失せろ! 強姦[#「強姦」に「×」の傍記]はする。犬はぶち殺して喰う。社会主義者は舞い込む。何んという畜生共だ。穢らわしい人非人奴! 出て行け。ここで死んでみろ。忽ち真逆《まっさか》さに御堂の下は無間地獄の釜の上だぞ! 恐しかったら、一刻も早く出て失せろ」
坊主はまるで青鬼のように、半分死にかかった人間の前でたけり立った。
「人間は死んだら最後、お寺に来るより外に仕様があるか。ちょっと一足さきに来ただけじあないか!」
時計屋が最後の声をふり絞って、怒鳴り返えした。
坊主はそのまま身震いすると、髑髏《しゃれこうべ》のように肉を震い落さんばかりに、慄いあがって怒った。――だが、まだ息の根はとまらない二人を、そのまま墓場へ持ってゆく訳には行かなかった。
突然に、殺人事件が惹き起された。
この街一流の日本人商館が、二人組の強盗に襲われたのだ。被害者は薬種商だった。手広く密輸入をやっているという評判が、この街の公然の噂だった。
強盗に反抗した亭主は、短刀の一撃で胸を抉ぐられて、金庫にしがみついたまま即死した。***店員たちが縛りあげられた、その眼の前で女房を強姦し[#「女房を強姦し」に「×」の傍記]その上五千円近い金を掠奪された。
店員や女房の証言で、その犯人は日本人であることに間違いはなかった。犯人は踪跡をくらまして、まだ逮捕されなかった。
乾干になって、もうここ一二日の生命が危いくらい弱り抜いていた左官に時計屋は、寝たきりなので、その事件を知る筈がなかった。
領事警察の刑事隊が、変装して用心深く小半日も張り込んだ結果、とっつかまえた代物は、自分で自分の身体さえ支え切れないほど弱りこんだ、この二人だった! この左官に時計屋が、強盗殺人強姦の犯人であるとは――何んと立派な手柄であることか!
坊主は黒い門柱から、無料宿泊所の看板をひっぺがした。そしてまるで土方のように、それを踏み破った。
こんな慈善ぶった看板で金を強請ろうとかかったことが、そもそもの誤りなのだ。
お天んとうさまに唾を吐いて見ろ! そっくりそのまま手前の坊主面に戻って来るんだ。
[#地から1字上げ]――一九二七・九・三――
底本:「日本プロレタリア文学集・10 「文芸戦線」作家集(一)」新日本出版社
1985(昭和60)年11月25日初版
1989(平成元)年3月25日第4刷
底本の親本:「新興文学全集第7巻」平凡社
1929(昭和4)年7月
初出:「改造」
1927(昭和2)年12月号
※初出の伏せ字のうち、編集部によって復元された箇所には×が傍記されています。
入力:林 幸雄
校正:トレンドイースト
2009年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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