あるといふことができるであらう。カントも「自然の技術」といふものを考へた。經驗的法則は甚だ多樣であり、それに合する自然の形態も極めて異質的である、けれども我々はそこに一個の體系を前提し、經驗的法則の體系的聯關を考へる。かやうにして判斷力にとつて特殊的なものを、同じく經驗的な、しかし一層一般的なものに包攝してゆき、遂に最高の經驗的法則及びそれに合する自然の形態に包攝するといふことが可能になる、かやうにして特殊的な經驗の堆積を經驗の體系として考察するといふことが可能になる。そこに自然の合目的性が考へられるのであつて、自然は技術的であるといはれるのである。ラシュリエのいふ歸納法の基礎もそこに考へられるであらう。尤もカントに依ると、自然の合目的性は、先驗的原理であるにしても、範疇の如く自然の成立の根據になるものではなく、我々が自然を考察する仕方に關係してゐる。それは規定的判斷力ではなくて反省的判斷力に屬してゐる。しかし既にラシュリエの如く目的原因に運動原因と少くとも同等の權利を認めるとすれば、自然の技術といふものにも實在的意味が認められるであらう。自然の技術もカントにおいては主として知識の立場
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