りでなく、よし可能であるとしてもこれを行ふといふことは極めて不經濟であるから、我々はひとつの表象を特に選んで他の多くの表象の代表者にする。かくして選ばれた個物は他の表象を代表する限り同時に一般的でなければならぬ。一般的なものはこのやうにして思惟經濟の必要から生じた人工概念に過ぎない。この種の考へ方とは違つて、ジェームズのいふ經驗は相互に獨立な感覺要素の寄り集つたものではなく、それみづからにおいて根源的な關係を含む諸感覺の結合である。關係も感覺と同じく根源的に與へられる直接の經驗に屬してゐる。ベルグソンにおいても純粹持續の各々の瞬間は過去を含み未來を孕むと考へられてゐる。
 これら二つの思想はまたディルタイに共通してゐるであらう。ディルタイによると、感覺の多樣は結合の意識から離れては單に表象され得ないばかりでなく、むしろ存在し得ない。シュトゥンプもいふ如く、諸感覺のうちには直接にまたその秩序が内在的な特性として共に與へられてゐるのでなければならぬ。我々の經驗の内容の内における秩序或ひは形式の内在といふことは經驗の事實そのものの示すところである。比量的な思惟作用の第一次的な形式の根源を尋ね
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