は對象性或ひは客觀性をもつことができない。なぜなら經驗は單に然かあるといふことをその場合について教へ得るだけであつて、あらゆる場合に必ず然かなければならぬといふことを示し得ない。即ちただ經驗にのみもとづく認識は蓋然性を有し得るにとどまり、普遍性と必然性とを有し得ない。しかるに認識の對象性或ひは客觀性はその普遍性と必然性とを意味してゐる。かやうにしてカントの認識論は右の二つの前提をくつがへさうとしたのである。
綜合の概念はカントにとつて最も重要な意味を有するものの一つである。綜合とは多樣の統一をいふ。既にライプニツはモナドを多樣の統一として規定した。各々のモナドはそのあらゆる状態において、一切の爾餘のものを表象し、そして表象の本質にはつねに多樣の統一化が屬してゐる。カントにおいても認識とは多樣の統一である。その統一において統一される多樣は感覺の多樣である。これは認識の内容をなすものであつて、感性によつて與へられる。認識の内容に對してこの内容を一定の關係に秩序づけて統一するには統一の形式がなければならない。ところでカントによると、感覺内容が與へられるとき、このものは既に一定の形式において
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