gとライプニツとの間の根本的な差異を見逃してはならない。ここに先づ二つのことを注意しておかう。第一に、ライプニツは感性と悟性との結合を考へながら、彼において問題になつてゐるのはなほどこまでも悟性の眞理であり、叡智的な存在であつて、ただこのもののためにその結合を考へたのである。物質も彼にとつては心的本質のものにほかならなかつた。彼が永久眞理(〔ve'rite's e'ternelles〕)と事實眞理(〔ve'rite's de fait〕)とを區別したことは有名である。前者は無時間的な妥當性を、後者は一囘的な妥當性をもつてゐる。兩者に共通であるのは、それらが共に直觀的に、言ひ換へるとそれ自身において、なんらか他のものからの演繹によつてではなく、確實であるといふことである。故にそれらは第一眞理(primae veritates)とも呼ばれる。ライプニツは第一眞理の二つの種類、合理的眞理と經驗的眞理とに、デカルトの明晰及び判明の概念を結びつける。これらの概念は二人の哲學者において多少違つた意味で使はれてゐる。ライプニツの規定によると、明晰な表象とはすべての他のものから確かに區別され、その對象の再認
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