印象をもつてゐる。ところが我々の認識において極めて重要な役割を演じてゐる因果の認識においては事情が全く違つてゐる。因果の關係は知覺されない、それは個々の感覺のうちにもその諸關係のうちにも内容として見出されない。感覺の全領域においてその要求される原型として如何なる印象をも發見することのできぬこの因果の觀念は如何にして可能であらうか。因果の認識は、一定の結果が一定の原因によつて必然的に惹き起されるといふことの認識である。けれどもこのものによつて(propter hoc)といふことは知覺されず、知覺されるのはこのものの後に(post hoc)といふことだけである。我々は或るものが他のものの後に起るといふ時間的關係を知覺し得るのみである。この關係を一が他によつてといふ關係に轉釋することは、このやうに因果的に關係させられた表象内容そのものにおいては基礎附けられてゐない。そこでヒュームは次のやうに説明する。表象の同じ繼起の反覆によつて、それらが相繼いで起るのを見る習慣によつて、一の後には他を必ず表象し、期待するやうに内的に強要されるやうになる。一の表象が他の表象を喚び起すといふかやうな心理的必然性
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