の同一を説くことによつてそれらの諸點を極端にまで押し進めたのである。ヘーゲルは理性の歴史を超越する恒常性を否定した。理性そのものが歴史を有し、歴史において發展する。理性は動かぬものでなく、却つて運動と變化がその本質に屬してゐる。これは理性人間の人間學の内部における極めて重要な、決して見遁してはならぬ變革である。歴史の概念がここにおいて最も強力な基礎の上におかれることとなつた。
第二の人間學即ち制作人間の人間學は、比較的新しい誕生のものである。ダーウィンの種の變化の學説がこれに對して顯著な影響を與へたと見ることができる。この人間學は人間と動物との間に本質的な差別を認めない。人間もひとつの特殊な動物の種類であつて、兩者の間には單に程度上の差異があるに過ぎない。人間のうちには他の一切の生物におけると同樣の諸要素、諸力、諸法則がはたらき、ただ一層複雜な組織形態をとつてゐるまでである。理性といはれるものもなんら形而上學的根源のものではない。それはなんら自律的な法則性ではなく、すでに類人猿においても見出される高等な心理作用の一層發達したものであつて、技術的知性(technische Intelligenz)といふべきものである。技術的知性といふのは環境的世界の構造の豫料によつて新しい状況に活動的に適應する能力である。この技術的知性には神經系統の諸機能が一義的に相應してゐる。我々の認識といふものは有機體における刺戟とその反應との間に絶えず一層豐富に入り込んで來るところの形象系列にほかならず、從つてまた我々の認識といふものは活動のために我々自身によつて作られた物の記號である。認識による活動は、本能が直接的にしてゐた仕事を間接的に、しかし一層效果的になし遂げるといふに過ぎない。それらの記號及びその諸結合は、生活を増進するやうな反應を惹き起すことに成功するとき眞であつて、反對の場合は僞である。かくして人間とは何かといふ問は、ここでは次のやうに答へられる。一、人間とは記號動物(Zeichentier)である。かやうな記號として彼は特に言語をもつてゐる。二、人間とは道具動物(Werkzeugtier)である。彼は道具を作る動物であつて、記號、言語認識もまたひとつの、しかも最も精巧な道具である。三、人間とは腦髓的存在(Gehirnwesen)である。彼においては他の動物とは格段の相違でエネ
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