問題と関聯《かんれん》している。ひとは凡《すべ》ての書物を同じ仕方で読むことはできないし、また同じ仕方で読んではならぬ。博く読むためには書物の種類に従って読み方を変えなければならない。そこに読書の技術があるのである。
何を読むべきかに就いては、もちろん、善いものを読まねばならず、悪いものを読んではならぬということは明かである。悪い本を読むことはそのこと自身無益であるばかりでなく、悪い本を読んでいるうちには善いものと悪いものとを区別することができなくなってしまうという危険がある。ひとはただ善いものを読むことによって善いものと悪いものとを見分ける眼を養うことができるのであって、その逆ではない。善い本は必ずしも読み易い本ではない。大きな、分厚な、むつかしい本であるからといって避くべきではなく、その方面で最も善い本を読むように努めなければならぬ。読書においても努力が大切であり、そして努力はつねに報いられるのである。やさしい本、読者に媚《こ》びる本ばかりを読んでいては、真の知識も教養も得ることができぬ。一度でその本が全部理解されなくても好い、ともかく善いものにぶっつかってゆくことが肝要である。
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