うことの楽しみは、その本と友達になるということの楽しみである。緩やかに読むことは大切であるが、最初から緩やかに読まねばならぬものは古典のように価値の定まった本であって、新しい本を手にした場合にはむしろ最初は一度速く読んでみてその内容の大体を掴《つか》み、それから再び繰り返して今度は緩やかに読むようにするのも好い。緩やかに読むということは本質的には繰り返して読むということである。
 繰り返して読むことは細部を味うために必要である。一冊の本の全体の意味を掴むだけならば緩やかに読む必要もないのであって、繰り返して緩やかに読むことは寧ろその部分部分を味って読むために要求されることである。とりわけ古典的な書物には一見無駄に思われるようなところのあるものである。全く無駄のないような書物は善い書物ではない。一見無駄に思われるような部分からひとは思い掛けぬ真理を発見するに至ることがある。今日の多くの著述家とは違って昔の人は彼自身極めて緩やかに、自然に書いたということを考えねばならぬ。彼等の書物を味うために我々もまた緩やかに読まねばならず、繰り返して細部に亙って吟味しつつ読まねばならぬ。著者がさほど重要
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