解するために必要である。左右を比較し前後を関係づけることによってよく理解することができる。よく理解するためには精読しなければならないのであって、精読は古来つねに読書の規則とされている。よく理解するためには全体を知っていなければならず、すべての部分は全体に関係づけられ、全体から理解されることによって、初めて真に理解されるのであり、そのためには繰り返して読むことが必要である。ひとは初めから全体を予料しながら読んでゆくのであるが、全体は読み終ったとき初めて現実的になるのであって、かくして飜《ひるがえ》って再び読み返すことが要求されるのである。尤も我々は必ずしもつねに直ぐ繰り返して読まねばならぬわけではない。読んでみて結局分らなかったものはそのままにしておいて、暫らく時を経て自分の知識や思索が進んだ時に再び取り出して読むようにするのも好い。以前に読んだことのある本を繰り返して読んでみるということは楽しいものである。その当時の記憶が甦《よみがえ》ってくるということもあろうし、また思わぬ誤解をしていたことを見出すということもあろうし、また新しい発見をするということもあるであろう。繰り返して読むとい
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