如何に読書すべきか
三木清

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)為《な》す
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        一

 先ず大切なことは読書の習慣を作るということである。他の場合と同じように、ここでも習慣が必要である。ひとは、単に義務からのみ、或いは単に興味からのみ、読書し得るものではない、習慣が実に多くのことを為《な》すのである。そして他のことについてと同じように、読書の習慣も早くから養わねばならぬ。学生の時代に読書の習慣を作らなかった者は恐らく生涯読書の面白さを理解しないで終るであろう。
 読書の習慣を養うには閑暇を見出すことに努めなければならぬ。そして人生において閑暇は見出そうとさえすれば何処《どこ》にでもあるものだ。朝出掛ける前の半時間、夜眠る前の一時間、読書のための時間を作ろうと思えば何時《いつ》でもできる。現代の生活はたしかに忙しくなっている。終日妨げられないで読書することのできた昔の人は羨望《せんぼう》に値するであろう。しかし如何に忙しい人も自分の好きなことのためには閑暇を作ることを知っている。読書の時間がないと云うのは読書しないための口実に過ぎない。まして学生は世の中へ出た者に比して遙《はる》かに多くの閑暇をもっている筈だ。そのうえ読書は他の娯楽のように相手を要しないのである。ひとはひとりで読書の楽しみを味うことができる。いな、東西古今のあらゆるすぐれた人に接することができるというのは読書における大きな悦びでなければならぬ。読書の時間を作るために、無駄に忙しくなっている生活を整理することができたならば、人生はそれだけ豊富になるであろう。読書は心に落着きを与える。そのことだけから考えても、落着きを失っている現代の生活にとって読書の有する意義は大きいであろう。
 読書を欲する者は閑暇を見出すことに賢明でなければならぬと共に、規則的に読書するということを忘れてはならない。毎日、例外なしに、一定の時間に、たとい三十分にしても、読書する習慣を養うことが大切である。かようにして二十年間も継続することができれば、そのうちにひとは立派な学者になっているであろう。読書の習慣は読書のための閑暇を作り出す。読書の時間がないと云う者は読書の習慣を有しないことを示している。読書の習慣を得た者は読書のうちに全く特別の楽しみを見出すであろうし、その楽しみが彼を読書から離さないであろう。
 他の場合においてと同様、読書にも勇気が必要である。ひとは先ず始めなければならぬ。我々はつねに読書に好都合な状態にあるのではない。読書に好都合な状態ができてから読書しようと考えるならば、遂に読書しないで終るであろう。ひとたび読書し始めるならば、落着かない心も落着き、憂いも忘れられ、不運も心にかかることなく、すべて読書に好都合な状態が生ずるであろう。いやいやながら始めて、やがて面白くなってやめられなくなる場合が多い。先ず読書することから読書に適した気分が出てくる。ひとたび読書の習慣を得れば、習慣があらゆる情念を鎮めてくれる。落着いた大学生といわれる者はたいてい読書の習慣を有するものである。

        二

 読書は一種の技術である。すべての技術には一般的規則があり、これを知っていることが肝要である。読書法についても古来いろいろ書かれてきた。しかし技術は一般的理論の単なる応用に過ぎぬものではない。技術においては一般的理論が主体化されねばならず、主体化されるということは個別化されるということである。これがその技術を身につけることであって、身についていない技術は技術と云うことができぬ。読書にとって習慣が重要であるというのも、読書が技術であることを意味している。技術は習慣的になることによって身につくのであり、習慣的になっていない技術は技術の意義を有しないであろう。そのことは固より読書にとって一般的規則が存在しないことを意味するのではない、もし何等の一般的規則も存在しないとすれば、それが技術であることもできぬ筈である。
 一般的規則の主体化を要求する点において、すでに手工業的技術は工場的生産の技術よりも遙かに大きいものがあるであろう。まして読書の如き精神的技術にあっては、一般的規則が各人の気質に従って個別化されることが愈々《いよいよ》必要になってくる。めいめいの気質を離れて読書の技術はないと云っても好いほどである。読書法は各人において性格的なものである。それ故に各人にとって自分に適した読書法を発明することが最も大切である。読書の技術においてひとはめいめい発明的でなければならぬ。もちろんこの場合においても発明の基礎には一般的規則がある。しかし自分の気質に適した読書法を自分で発明することに成功しない者は、永く、楽しく、また有益に読書することはできない
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