表現的なものとして真理は我々に呼び掛けるのである。知識は言葉において表現されることによって主体から離れた独立なもの、公共的なものとなり、知識も文化に属している。知識は単に我のものでも単に汝のものでもなく、公共的なものとして、客観的なものでなければならぬ。
真理は対象と観念との一致であると考えるのは古い伝統である。これは模写説の主張であるのみでなく、カントの如きもこれを認めている。彼にとっての問題は、いかにしてそのような一致に達し得るかということであった。その場合、模写説においては、我々の認識は対象に従わねばならぬと考えられる。しかるにカントに依ると、我々の認識が対象に従うのでなく、逆に、対象が我々の認識に従うことによって、その一致は可能になるのである。これがカントのコペルニクス的転※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]と称せられるものであって、あたかもコペルニクスによって天動説が地動説に転換されたように、それまで客観を中心としていた認識論が主観を中心とすることになったのである。模写説が客観主義であるに反して、カント主義は主観主義である。しかしそこにはまた真理概念の転換がいわば隠さ
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