をもつことができず、ましてその記号が知識の意味をもつことは不可能であろう。物理の法則が数式をもって表わされるにしても、物理学は数学に解消されるのでなく、その数式の物理的意味が問題である。記号は記号としていかに任意のものであり得るにしても、その内実の意味においては客観に制約されているのでなければ知識であり得ない。その客観からの制約を広く知識の模写的意味と称するならば、知識はつねに何等か模写的意味を含まねばならぬ。
科学は現象を説明するのでなく記述するのみであるという説は、知識が記号であるという説に近く立っている。知識が記号であるとすれば、それは現象を説明するのでなく記述するに過ぎないということになるであろう。キルヒホフの言葉に依ると、自然科学の任務は、自然現象をできるだけ完全に、できるだけ簡単に記述することである。かような場合、認識の目的は最も経済的に思惟することにある。科学は最小限の思惟消費をもってできるだけ完全に事実を記述することを目的とする、とマッハはいっている。マッハやアヴェナリウスに依ると、概念、公式、方法、原理等は、できるだけ勢力を節約して経済的に環境に適応することを可能に
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