観的にあるものではない。我々から単に独立であって我々に決して関係付けられることのないものは、存在といわれるのみで、真理とはいわれないであろう。真理はもと存在に属すると考えられるとしても、この存在が我々の主観に関係してくるところに真理といわれる意味がある。真理は単に自体における存在でなく、自体における存在が我々にとっての存在となるところに真理の意味があるのである。主体の作用によって存在はそのものとして顕わになるのであって、主体の超越はその根柢的な条件である。そこで真理とは本来知識の真理をいい、存在の真理は知識の真理に従って比論的に名付けられるに過ぎないと考えることができる。知識は主体と客体との関係のうちにあって、その関係から真理は真理になるともいわれるであろう。存在における真理というものはいわば即自態における真理に過ぎず、それが知識における真理となることによって対自態における真理となり、その知識に従って主体が行為することによって真理は再び存在における真理となり、即自対自態における真理となる。世界についての真理は主体を通じて世界における真理となり、それによって現実的に真理となる。真理は究極
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