であろう。しかしながら知識の客観性はむしろ言葉通りに知識が客観或いは存在に関係付けられていることと理解されねばならぬ。存在との関係を含まないような知識はあり得ない。知識の客観性は、カントのいった如く、「客観的実在性」のことでなければならぬ、従ってそれは存在に関係付けられているということでなければならぬ。知識が主観的でなく普遍妥当的であるということも、それが客観に関係付けられることによって可能になるであろう。
 しかるに客観に関係付けられることによって、知識に客観性或いは普遍妥当性が与えられるためには、客観が超越的なもの、言い換えると、主観から独立なものであることが必要である。対象の超越なしには知識の普遍妥当性はない。このように考えてゆくと、真理の基準は対象にあることになり、進んでは、真理と称すべきものは第一次的には我々の観念でなく存在であり、この存在に関係付けられることによって、我々の観念はむしろ第二次的に真理といわれると考えられるであろう。真理は知識に属するよりも先ず存在に属している。知識が真理であるのも、存在の真理に関係付けられることに依ってである。実際、人々は普通に、真理のもとに
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