見る自己を更に振返って見ることができる。かように自己は無限に自己を反省し得るというのは重要な事実であるけれども、もしそれが単に意識の内部において自己が自己に関係付けられることに過ぎないとすれば、それは純粋に内在的なことになってしまう。もしそれが純粋に内在的なことであるとすれば、何故にそれが、少くとも行為にとって、重要な関係をもっているのか、理解し難いであろう。自己が自己を知るという自覚の意味は、自己が自己を超えるということでなければならぬ。自己が自己を超えるというところに自己が自己を知るということもあり得る。自覚の事実は人間存存の超越性によって可能になるのであり、そこに真の主体性が成立するのである。自覚というのは単に自己が自己を知ることでなく、自己が自己を知ることに即して自己の根拠であるものを知ることである。もし自覚が単なる自己意識に過ぎないとすれば、その内容は単に自己であり、またそれはただ意識に関することと考えられ、かようにして自覚を基礎とする哲学は、従来しばしばそうであったように、内在論或いは意識哲学に終ることになる。それは自覚の事実がこれまで主として知識とその主観の問題の見地から
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