的に限定されたものである。「汝為すべし」ということはつねに一定の歴史的・社会的関係から出てくるのである。そこに表現されているのは社会的意味であり、道徳的意味充実はつねに社会的意味充実である。汝は汝自身を表現すると共に社会を表現する。社会は表現的なものであり、大なる汝である。社会はしばしば「大なる我」と看做《みな》されてきた。しかしかように考えることは、社会を単に我に内在的なものと考えることになるであろう。社会は超越的なものとしてむしろ「大なる汝」であり、我も汝も社会を表現するものとして我であり汝である。我と汝との行為的聯関の基礎にはつねに我と汝とがそれにおいて関係する場所としての社会がある。我と汝とは一つの環境、一つの社会、一つの場所にあって働き合うのであり、我々はつねに環境的に限定され、環境を表現している。社会は我々がそこにおいてある場所として、単に客観的なものでなく、主体的なものである。しかるに個別的社会も、単に自己自身を表現するのでなく、同時に自己を超えた社会、自己がそれにおいてある環境を表現するのであり、かようなものとしてそれは表現的といい得るのである。民族の如きも歴史的に形成
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