て行為的と見られることができ、また知識についても知識の倫理がある。更に芸術の如きも、単に享受の立場からでなく、制作の立場から捉えられねばならぬ、芸術の主体も制作的なものとして行為的と見られることができ、芸術についても制作の倫理が要求されるであろう。かように物を行為の立場において見るということは、物を歴史的世界において見ることである。歴史的世界は行為の世界である。従ってドロイセンのいう如く、歴史的世界は道徳的世界である。もとより知識、芸術、道徳の間には区別がある。知識の根本問題は真理であり、道徳のそれは善であり、芸術のそれは美であるといわれている。しかしそれらを差別においてと同時に統一において把握することが重要である。
道徳的といわれる行為に固有なものは何であろうか。これが明かになって初めて、いかなる意味において他の種類の行為も道徳的と考えられるかが明かになるのである、認識は主体の客体に対する関係である、それは主体による客体の把捉である。科学においては人間も物と見られ、自然として取扱われる。認識の問題は我と物或いは自然との関係であるといわれる。しかるに道徳は主体の主体に対する行為的聯関
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