あって、我々の仕事はただその隠されていたのを発見[#「発見」に傍点]するというだけである。しかるに実用主義にとっては、あたかも我々が自然の力を利用するために機械を創造する如く、我々は実在を利用するために真理を発明[#「発明」に傍点]するのである。新しい真理は発見でなくて発明であるというのが、真理に関する実用主義の根本的見解である。この見解には確かに正当なものが含まれている。しかしながら真理を発明と見ることは、それを真に歴史的に見ることでなければならぬ。発明といっても固より単に主観的なものであることができぬ。すべての発明は発見の要素をもっており、またすべての発見は発明の要素をもっている。即ち認識は主観的・客観的なものであり、かようなものとして右にいったように形成である。
六 知識の倫理
我々は既にしばしば知識と行為との関係について述べてきた。知識と行為とは単に外面的に結び付くのでなく、内面的に結び付いている。認識する主観そのものが行為的である。この見方は我々を知識の倫理の問題に連れてゆくであろう。
知識の倫理の問題は認識の根柢には意志があるという主張から導かれることが
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