いということによって、運動するのである。「矛盾は一切の運動及び生命性の根源である。物は自己自身のうちに矛盾を有する限りにおいてのみ、運動し、衝動と活動を有する」、とヘーゲルはいっている。矛盾を容れぬ形式論理に対して、矛盾こそ物の生命的なものであるというのが弁証法の根本思想である。矛盾し対立するものは相互に否定することによって相互に媒介する。弁証法は否定による媒介の論理である。しかしながら弁証法を単に媒介の論理と考えるとき、それは反省の論理に止まって行為の論理とはならないであろう。行為は一方どこまでも媒介的であると共に他方どこまでも直接的なもの、直観的なものである。直接的なものが媒介的であり、媒介的なものが直接的であるというところに、行為があり、真の弁証法がある。弁証法は反省の論理でなく、現実の世界そのものの論理である。尤《もっと》も、我々の行為にとっても反省が必要である限り、ヘーゲルが抽象的な「悟性の論理」として軽蔑した形式論理も重要な意味をもっている。また我々の行為は客観的なものに関係付けられている以上、抽象的といわれる一般的法則の認識もそれにとって大切である。抽象的なものを軽蔑する
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