相は生ずることも滅することもなく、永遠に自己同一に止まるとすれば、形相は現実の人間から抽象して考えられることができるであろう。しかるに歴史的に見ると、一人の人間と共にその人間の形は滅んで新しい形が生れ、一個の社会と共にその社会の形は滅んで新しい形に代られる。ギリシアにおいて生物の種は不変と考えられたのに対して近代の進化論は種の変化を説くように、形は歴史的なものとして変化し発展するものである。アリストテレスが運動を通じてつねに自己同一に止まるものを捉えようとしたに反して、弁証法は歴史の運動を形の変化として捉えるのである。弁証法は運動の論理である。運動は矛盾があるによって起る。「同一のものが同時にあり且つあらぬことは不可能である」というのがアリストテレスに依る矛盾律の表現であるが、この矛盾律は運動に適用されることができぬ、なぜなら物が運動するとは同一の点に同時にあり且つあらぬということであるから。物は、それが此の今には此処にありそして他の今には彼処にあるということによってでなく、却ってそれが同一の今において此処に且つ此処にでなくあるということによって、それが此の此処において同時にあり且つな
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