統一する形式は主観に属し、主観の綜合の形式である。認識は感覚に与えられた多様なものを主観が自己の形式によって統一するところに成立するのである。「我々が直観の多様なもののうちに綜合的統一を作り出したとき、我々は対象を認識する」、とカントはいっている。認識の対象は主観にとって与えられたものでなく、却って主観の構成するものである。例えば、この赤い鉛筆である、それは感覚に与えられたものを主観が実体或いは物(鉛筆)とその属性(赤い)という形式によって統一したものである。実体と属性というのは主観の綜合の形式であり、範疇と呼ばれている。また例えば、雨が降ったので地面が濡れたという現象の因果関係を認識する場合、我々は直観に与えられたものを原因(雨が降る)と結果(地面が濡れる)という形式によって統一したのである。因果概念も主観の統一の形式であり、範疇に属している。かようにして我々が対象において認識するものは我々が対象のうちへ移し入れたものである。我々の認識が対象と一致するのは、対象が主観の構成したものであるためである。しかるに認識は普遍妥当性をもたねばならぬ故に、主観の統一は普遍的で必然的な統一でなけれ
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