我即ち他の人間でなくて物の世界のことであった。そこでは主として自然的対象界が問題であり、人間の世界、歴史的・社会的現実は問題でなかった。我に対するのは汝でなく、単なる物に過ぎなかった。しかるに単なる物に対する自己は真の自己であることができぬ、我は汝に対して初めて我である。更に従来の主観・客観の概念においては、自己は主観として存在でなく、一切の存在は客観と見られる故に、自己は世界の中に入っていないことになる、世界は自己に対してあるもの即ち対象界と考えられ、自己はどこか世界の外にあるものの如く考えられている。かような主観は一個の抽象物であって現実の人間ではない。現実の人間はつねに世界の中にいるのである。我は世界の中にいて他に対しているのであるが、我に対するものは何よりも汝である。我は汝に対して我であり、汝なしには我は考えられない、そして汝は単なる客観でなく主体である。即ち主体は主体に対している。主観は客観に対して主観であるに反して、主体は根源的には客観に対してよりも他の主体に対して主体である。そこに主観の概念とは区別される主体の概念の本来の意味がある。いわゆる主観は、それが個人的自己と考えられようと超個人的自己と考えられようと、どこか世界の外にあって孤立的であるに反して、主体は主体に対して主体であり、従って元来社会的である。
 もとより主体は単に主観的なものではない。我々は身体を有するものとしてすでに単に主観的なものであり得ないであろう。身体は自然的なもの、客観的なものである。しかしまた身体は物体とは異る主体的意味をもっている。物が自己の外にあるというのは身体の外にあることである、さもないと行為というものは考えられない。主体は単に主観的なものでなく、むしろ主観的・客観的なものである。それは客観に対する主観の如きものでなく、客観に媒介されたものとして主体である、客観を我が物とすることによって真に独立になったものが主体である。人間も世界における一個の物にほかならず、その意味において我々の最も主観的な作用も客観的なものということができる。人間の存在のかような客観性を先ず確認することが必要である。真に客観的なものとは単に客観的なものでなく、却って主観的・客観的なものである。
 ところで環境は私に対してあるものとして普通に客観と看做《みな》されている。けれど翻って考えてみると、環境は私に対してあるというよりも私が環境の中にあるのである。環境は対象でなく、私がそこにおいてある場所である。環境のかような性質はその世界性格と称することができる。尤《もっと》も、環境は一面閉じたものの性質をもっている、私がそこに住む環境は、この町、この国、更にいわゆる世界にまで拡げて考えても、つねに閉じたものである。環境が主体を中心とする円の如く表象されるのもそのためであって、円はその周辺をどれほど拡げても開いたものとはならぬ。しかるに閉じたものは世界とは考えられない、世界の根本性格は開いたものということである。閉じたものと開いたものとの差異は量的でなくて性質的である。閉じたものが一点を中心とする円の如く表象されるとすれば、開いたものは到る処中心を有する円の如く表象されるであろう。環境は単に閉じたものでなく、その世界性格において開いたものの性質をもっている。即ちそれは閉じたものであると同時に開いたものである。環境は、私に対してあるのでなく私がその中にあるものとして、対象或いは客観とは考えられない。主観的なところを有する私の存在をうちに包むものは単に客観的なものであることができぬ。我々がそこにいる社会は単なる客観でなく、それ自身の意味における主体である。社会も身体を有し、風土的自然は社会の身体と考えられる。私に対してあるといわれるのは環境でなく、私と一つの環境においてある他のものである。それは私と同じく個別的なものであり、そして環境は一般的なものである。個物は個物に対し、一つの環境においてある。かような個物はすべて我に対する汝の性格を担っている。環境の意味での自然においてある個々の物も単なる客観でなく、むしろ汝の性格において我に対している。汝は我に対して独立なものである、客観とか客体とかといわれるのも、それが主体から全く独立なものであることを意味している。行為は独立なものと独立なものとの間に成り立つ、しかもかように関係するにはそれらは一つの場所においてあるのでなければならぬ。我々がその中にある一つの個別的社会、例えば民族とか国家とかも、主体として他の主体即ち他の個別的社会に対し、それらは一つの環境、いわゆる世界においてある。かような世界も歴史的なものとしてそれぞれの時代に個別的であるとすれば、多くの世界がそれにおいてある世界即ち絶対的環境、もしくは絶対的場所、もしくは
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