た。自然科学の認識目的が法則であるに反し、歴史学の認識目的は法則でなくて個性であるといわれる。ヴィンデルバントは自然科学と歴史学との区別を論じて、自然科学が法則定立的であるに反し、歴史学は個性記述的であると述べている。個性というのは個人のことばかりでなく、社会にしても文化にしても個性をもっている。すべて歴史的なものは個性的である。自然科学においては個々の特殊的なものは一般法則の例としてそのもとに包摂される。しかるに個性は一般法則の例に過ぎぬようなものでなく、それぞれ他に換えることのできぬ独自性を具えている。また自然現象は繰返すと考えられるに反し、歴史的なものは一回的なものである。更に自然科学が対象を意味とか価値とかから離れて取扱うに反して、歴史的なものはすべて意味とか価値とかに関係して考えられる。生理学の対象としては仮に天才と狂人とは同じであるとしても、文化価値に関係させて見れば全く違い、天才は芸術的価値というが如き文化価値の見地から歴史学の対象となるが、狂人はそうでない。かような個性は法則に対して何かといえば、形であると一般に答えることができる。すべて歴史的なものは形をもっている。ここに形というのは単なる形式のことでなく、内容を内から生かしているもの、内容そのものの内面的統一をいうのである。しかし形は、もとより単に内的なものでなく、外に現われたもの、表現的なものである。表現的なものとは内と外とが一つのものである。それは意味をもったものであるといっても、その意味は単に内的なものでなく、物の形において現われたものでなければならぬ。形はそれぞれ特殊的なものである。けれどもそれは単に特殊的なものでなく、一般的なものと特殊的なものとの統一である。個性といっても単に特殊的なものでなく、特殊的であると共に一般的なものであり、その統一は具体的には形において与えられている。歴史学の認識しようとするのは個性でなく、型(タイプ)であるともいわれている。型は或る一般的なものである。けれどもそれは形式論理における類概念の一般性とは異っている、型はむしろそれぞれ個性的なものである。型というのは歴史的な形にほかならない。或いは歴史科学は単に個性を捉えようとするのでなく、却って法則、例えば、歴史の発展段階の法則の如きものを求めるのであると主張されている。しかしかような法則も、歴史の法則として、形
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