いてのアリストテレスの説における指導的な見地は、属性に対する実体の優位の関係のうちに存している。しかるに自然科学的思惟においては実体概念に代って関係概念が指導的な地位を占むるに至った。実体概念と関係概念との間に想定される価値関係の相違に従って、アリストテレス的論理とカント的論理との二つの典型的な形態が区別される。自然科学的見方においては物は関係から構成されるのであり、諸関係の網のいわば結び目である。
 近代自然科学に特徴的な認識論はカント主義者であったヘルムホルツの記号説において見ることができる。知識は記号であるというとき、記号は物的な類似でなくてただ双方の側の構造の函数的対応を要求するのである。記号のうちに捉えられるものは記号された物の特殊な固有性でなく、それが他の類似のものに対して立っている客観的な関係である。我々は我々の表象によって現実そのものをその孤立した自体において存在する性質において認識するのでなく、現実がそのもとに立ちそれに従って変化するところの規則を認識するのである。我々が一義的に見出し得るのは現象における法則であり、この法則は函数概念において現わされる。関係概念によって考えることは函数概念によって考えることである。法則性は我々にとって現象が理解され得るものになる条件であり、法則性は我々が物そのものに移し得る唯一の属性である。かようにしてカントのいった如く、自然とは「現象の、その現存在に従っての、必然的な規則即ち法則に従っての聯関」にほかならず、言い換えると、空間と時間とにおける現象の規則性である。物は諸関係に分解され、諸関係、諸法則から認識されるのである。ここに物概念或いは実体概念に対する関係概念或いは函数概念の優位が成立する。そこで精神についても、従来の心的実体を考えた心理学に対していわゆる「心のない心理学」が唱えられ、また物理学においても「物質は消滅した」とさえいわれるようになった。しかしながら自然科学からあらゆる物的要素を排除し得るかの如く考えることは間違っている。関係概念的見方は、我々はただ存在要素の間の関係をのみ思惟的に把握し得るという意味でなく、我々はただ関係の範疇を通じてのみ物の範疇に達し得るという意味である。
 しかるに現代に至って、自然科学的認識に対する歴史的認識の特殊性が注目され、両者における概念構成の相違が主張されるようになっ
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