して眼を開かれた。西洋哲學を研究しようとする者はキリスト教の知識を備へなければならないが、とりわけギリシア哲學を研究することが大切である。その研究は現代において特に重要な意味をもつてゐるのではないかと思ふ。西田先生の思想の如きも、先生がギリシア哲學に深く入られるやうになつてから著しい發展があつたやうに思ふ。哲學史に就いて思想の歴史的聯關を見ることは忘るべきではないが、更に進んで、自分で原典にあたつて研究することが大切である。原語で讀むに越したことはないが、たとひ飜譯であつても、古典は完全な形で讀むべきである。何でも原語で讀まなければ氣がすまぬといつて、そのために讀むべき本を讀まないでゐる人もあるが、愚かなことであると思ふ。絶えず古典に接することが大切であるといつても決して、新しいものを讀むことが不必要なわけではない。古典の中にばかり閉ぢ籠つてゐると、ひとりよがりになるとか、學問が趣味に墮してしまふといふやうな危險があるのである。古典も新しい眼をもつて見なければ生きてこないのであつて、それには現代の問題について深い關心がなければならぬ。もちろん古典をただ勝手に解釋すれば好いといふのではない。初めからかやうな態度をもつて臨めば、どのやうな本を讀んでも益はないであらう。眞の讀書においては著者と自分との間に對話が行はれるのである。しかも自分が勝手な問を發するのでなく、自分が問を發することは實は著者が自分に問を掛けてくることであり、しかも自分に問題がなければ著者も自分に問を掛けてこない。かくして問から答へ、答は更に問を生み、問答は限りなく進展してゆく。この對話の精神が哲學の精神にほかならない。
哲學の個々の部門、例へば歴史哲學、社會哲學、藝術哲學、道徳哲學、宗教哲學、等々について、私の乏しい經驗の範圍内でもなほいろいろ注意しておきたいことがあるが、與へられた紙數も盡きたから、ここでひとまづ筆を擱くことにする。
底本:「三木清全集 第一巻」岩波書店
1966(昭和41)年10月17日発行
初出:「圖書」岩波書店
1941(昭和16)年3〜5月
入力:石井彰文
校正:川山隆
2008年1月25日作成
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