り、父母に内証の借金が出来て苦労したこともある。時には姫路まで出かけて古本屋漁りをした。
 外国文学では、藤岡は特にワイルドが好きで『リーディング監獄の歌』を回覧雑誌に訳したりしていたが、私もワイルドのものを東京の丸善から取り寄せて辞書を頼りに読んだことがある。私には『デ・プロフンディス』が強く印象に残っている。他には、これも藤岡の感化で、ツルゲーネフのものを比較的多く読んだ。その時分私の中学で外国文学の新知識は、旧姓を永富といい、現在外交評論家として知られている鹿島守之助君であった。鹿島君は私どもよりは一年先輩であるが、令兄が大学で文科をやられていたのによるであろうか、私どもを全く驚かしたほど外国の作家のことを知っていた。昼の休みの時間に、学校の運動場の隅で、藤岡や私は鹿島君から、ハウプトマンがどうの、マーテルリンクがどうの、ボードレールがどうの、などとよく聞かされたものである。つまり西洋現代文学史の講義を一通り聞いたわけである。鹿島君には久しく会わないが、会って当時を語れば、お互いに吹き出すようなことが多いであろう。
 正確には覚えていないが、ブリックスといったのではないかと思う、
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