して病に斃《たお》れてしまったのは惜しいことであった。彼も後年にはよく哲学の本を読んでいたようである。坂田徳男君は彼と同郷の後輩で、彼と同じように六高を経て京大の医科を卒業して生理学を勉強したが、今日では専門の哲学者になってしまった。
たいていの人は先ず文芸書を通して読書家になるのではないかと思う。藤岡の場合もそうであり、いつも彼に指導されていた私の場合もそうであった。それに藤岡は初めは文学者になるつもりであったらしく、彼の提唱で文芸の回覧雑誌が出来、私も一、二小説めいたものを書いたことがある。その時の同人に現在新京の建国大学にいる宗教学の松井了穏がある。その頃私は、紅葉、露伴から、漱石、鴎外、一葉、樗牛、独歩、花袋、秋声、白鳥、荷風、潤一郎、三重吉など、実にいろいろなものを読んだが、特に感銘を受けたものを挙げるとすれば、藤村の『破戒』、『春』、『家』といったもの、『即興詩人』とか『涓滴』などの鴎外のものを挙げねばならぬであろう。その後藤村のものはあまり見ないが、鴎外のものは今もときどき見ることがある。竜野の町に伏見屋という本屋があって、私はよく学校の帰りにそこに寄って本を漁《あさ》
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